細野豪志

衆議院議員6期。静岡5区。 専門はエネルギー・環境、安保、宇宙・海洋。子どもの貧困、障がい児問題、LGBTなどに取り組む。与党時代は総理補佐官、環境大臣、原発事故担当大臣を歴任。今年、囲碁の初段になった。

記事一覧(24)

私が野党共闘から距離を置いた理由

共産党から国民民主党まで揃って、安保法制廃止法案を提出。廃止すると、日米ガイドラインも、即時見直し。日米同盟の根幹が揺らぐ。残念だが、野党の現状が現れている。

https://www.sankei.com/smp/politics/news/190422/plt1904220080-s1.html 私が野党共闘に加わらなかったのは、安保の現実主義を貫くことができないから。 三浦さんとの対談でも述べたが、野党が安保法制に反対するだけで終始した責任の一端は私にもある。率直にお詫びをしなければならない。  (以下、対談からの引用)

当時、民主党の政調会長をやっていて、集団的自衛権を巡る議論は前の年から出ていたんだけど、なかなか党内議論が進まなかった。私は、何とか安保法制の民主党案をまとめたいと思っていた。100点の案はできなくても、最低限、尖閣諸島、できれば朝鮮有事への対応まで法律に書くべきだと考えていた。何とか民主党案をまとめるところまでいったが、国会には提出しないということになってしまった。私は、民主党の役員会で、民主党案を国会に提出して、与野党の党首会談をやるべきだと主張したけれど、賛同者はいなかった。早い段階で、提出していれば与野党合意の可能性はあったと思います。



結果として、対立の構図だけが鮮明になり、最終的には強行採決という形になってしまった。あそこで、日本の安保の議論というのは前時代的なものに戻ってしまった。

志帥会入会にあたって

本日、志帥会に入会いたしました。この決断に至った経緯をご説明申し上げます。

志帥会を束ねる二階俊博先生は、裾野市ご出身で旧静岡2区の代議士であり、狩野川台風発生時に建設大臣を務められた遠藤三郎先生の秘書から長い政治生活をスタートされています。二階先生は、遠藤先生の秘書として狩野川放水路の早期完成に尽力されるなど、災害からの復旧復興に大きな貢献をされました。こうしたご縁もあり、二階先生には、従来から地元の要望の実現にご尽力頂き、私が取り組んできた生活保護家庭の進学や虐待の問題についてもご指導いただいて参りました。 政治家としてスタートした20年前から、私が大切にしてきた政治理念が三つあります。 ① 内政は弱い者の立場に立つ ② 多様性(ダイバーシティ)を大切にする ③ 外交安保は現実主義に立つ 若輩の私が申し上げるのは僭越ですが、二階先生とは私が大切にしてきた三つの政治理念を共有することができると感じるようになりました。 一昨年、安保法制違憲論に舵を切った民進党を離れ、希望の党を立ち上げたのは、この理念を実現するためです。チャレンジしたことに悔いはありません。 
しかし、総選挙の結果は厳しいものでした。国民は野党第一党として立憲民主党を選び、希望の党は解党するに至りました。政治家である限り、国民の判断は厳粛に受け止めなければなりません。総選挙の後、自らの進むべき道について熟慮を重ねる日々を過ごしてきました。希望の党で共に戦った議員が参加している国民民主党に期待してきましたが、現実には野党勢力が立憲民主党に収斂されつつあります。今夏の参議院選挙では1人区を中心に共産党を含めた野党の選挙協力が進んでおり、衆議院でも協力が進むと思われます。外交安全保障と憲法という基本的な理念に大きな違いがある以上、こうした野党勢力に加わるという選択肢は私にはありませんでした。 
今後は、志帥会の一員として与党の皆さまと協力しながら、政策を前に進めるために力を尽くして参ります。私をお支え頂いてきた皆さまの中には、今回の私の決断について厳しいご意見をお持ちの方がおられると思います。また、自民党の関係者の皆さまの中に、長く非自民の立場に身を置いてきた私に対する厳しい声があることも承知しております。そうした皆さまと対話を重ねながら、自民党入党を目指して参ります。
 今回の判断は、政治活動20年の中で最も難しいものでした。これまでご縁を頂いた様々な方々、既にお亡くなりになった方々を含め、多くの方の顔が頭に浮かんでは、思考が行きつ戻りつを繰り返し、決断には相当の時間を要しました。しかし、政治家として国家国民のために働き、地元に貢献するためにはこの道しかないとの結論に至りました。決断した以上は、歩みを前に進めます。冒頭で記した私の政治理念は、今後も変わることはありません。しかし、今回の決断は、保守二大政党制を目指し、非自民に長く身を置いてきた私の政治的な立場を大きく転換するものであることは紛れもない事実です。ご批判は甘んじてお受けいたします。 
今後は、新たに出直すという重大な覚悟をもって懸命に働いて参ります。皆様のご理解を頂けますよう、伏してお願い申し上げます。
 追記一連の報道の中で、選挙区を移るのではないかとの噂が一部で出回っていることに、大変、驚いております。明確に申し上げます。そのようなことは絶対にありません。この地で政治家としても、人としても育てて頂いた私が、選挙区を離れて政治活動をすることなど、全く考えられません。念のため、追記させて頂きます。 

児童虐待を親として捉え直す

新たな年を迎えました。年男になった本年は期するところがあります。昨年、最重要テーマとして取り組んできた児童虐待防止について年末に「WEBRONZA」に寄稿した文章を公開いたします。今年もこの問題にしっかり取り組む決意です。■無所属の時間を生きる無所属となって半年が経った。城山三郎氏は、『無所属の時間を生きる』という随筆の中で、「無所属の時間というのは、人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間ということではないだろうか」と記している。到底、その境地には達していないが、全ての採決を自らの責任で行う中で、政治家としての理念・政策を再確認することができた貴重な時間ではあった。① 内政は弱い者の立場に立つ ② 外国人やLGBTを含め、多様性(ダイバーシティ)を大切にする ③ 外交安保は現実主義に立つ
 私が大切にしてきた政治理念だ。一昨年、この理念を実現するために、安保法制違憲論に舵を切った民進党を離れ、希望の党を立ち上げた。現実的な二大政党の実現を目指してチャレンジしたことに悔いはない。希望の党の解党は無念ではあったが、国民が野党第一党として立憲民主党を選んだ以上、やむを得ない。
 無所属議員には、国会の本会議や委員会での発言機会はほとんど与えられない。しかし、国会に議席を得ている以上、無為な時間を過ごすことは許されない。私は、テーマを絞り込み、超党派の議員連盟などを通じて政策の実現を図る方法を取った。党の会議は皆無、支援団体の会合に呼ばれる機会も減った。その時間を「弱き者」のために役立たせたいと考えた。 ■児童虐待を親として捉え直す虐待を受けていた5歳の女の子が、「おねがいゆるして――」と書き残して、亡くなるという痛ましい事件が起きた。結愛ちゃんのノートの存在が明らかになった昨年6月と比較すると報道は激減したが、熱心な議員が集まり対応を議論してきた。 
取り組みを続ける中で、コーポレート・ペアレンツ(社会的共同親)という概念を知った。京都府立大学の津崎哲雄教授によると、『家庭生活をはく奪された子らに国家・社会が提供すべき支援は、実親が子に行う親業と同等でなければならず、それを自治体が責任を持って提供する』というものだ。実践されている英国では、地方議員が選挙民子弟の社会的養育状況、委託児名・委託先などを把握しておらねばならず、随時委託先を訪問し最善の利益が確保されているかどうか掌握するよう求められているとのこと。徹底している。
 目を開かれる思いがした。私が児童養護施設、虐待、子どもの貧困などに取り組むようになったのは、超低体重のため生後10日で命を落とした娘のことがあったからだ。票と資金がものをいう政治の世界にあって、こうした問題に取り組む議員は多くない。結愛ちゃんのようなケースがあると世論は沸騰するが、長続きしない。私自身には明確な動機があり、継続して取り組んできたが、「コーポレート・ペアレンツ」、すなわち、子どもたちの親と同等の気持ちで関わってきたかと問われれば、そうではなかった。今度こそ、結愛ちゃんの犠牲を絶対に無駄にすることはできない。■児童相談所をもっと身近に政府は、社会保障審議会の社会的養育専門委員会「市町村・都道府県における子ども家庭相談支援体制の強化等に向けたワーキンググループ」を立ち上げ、児童相談所改革や自治体の体制などについて昨年末取りまとめた。(https://www.mhlw.go.jp/content/11901000/000465189.pdf)
議連では、頻繁に厚生労働省と意見交換を重ねてきた。 
最優先課題は、虐待にあった子どもの最初の窓口となる児童相談所の増強だ。児相が開いているのはウィークデーのみで、土日や夜間は窓口が閉ざされている。児童相談所にたどり着いたとしても、一人の児童福祉司が抱える子どもの数は平均50人ほど、多いところでは100人近くになる。とても親代わりができる体制ではない。 
まずは、児相をできる限り身近なところに設置することを考えるべきだ。南青山の児相の設置について、反対する声があることに危機感を持つ。欧米では、社会的な成功者が里親をしているケースが少なくない。反対は一部の声であって、日本のセレブがそこまで堕ちたわけではないと信じたいが。子育て支援を担当するのは市町村で、児相を持つのは都道府県と政令市という地方における縦割りを解消していくべきだ。住民と最も身近に接しているのは市町村なのだが、児相を持たないため、児童虐待については当事者意識がどうしても薄くなる。
 明石市は、今年4月に児相を設置し、子育て部門と一体的な運用を開始する。他の中核市も続いて欲しいと思うが、残念ながら動きは鈍い。まずは、中核市への児相の設置の義務付けが必要だ。一般市については、政府のワーキンググループで、全市区町村に「子ども家庭総合支援拠点」を設置する方向性が示されたことは評価できる。ここが市町村の虐待に関する拠点にもなり、要保護児童対策地域協議会を通じて児相と一体となって対応する体制を早急に作る必要がある。 ■児童相談所の機能強化を児相の現場の声を聞くと、個々の児童相談所の機能強化は待ったなしだと感じる。緊急通報への対応が続き、親との面談の際は、身の危険を感じることもあるという。児相で働く皆さんは頑張っておられる。しかし、「実親と同等の支援」ができているかと問われれば、答えはノーだ。複雑な事情を抱えた家庭と向き合い、虐待に合っている子どもを親から引き離し、里親や特別養子縁組を行うだけの時間的、精神的余裕は到底ない。
 結愛ちゃんは、父親に虐待されている事実を訴え、「家に帰りたくない」と話していた。5歳の女の子が勇気を振り絞って自らの意思を伝えたにも関わらず、彼女は家庭に返され、その結果として命を奪われたのだ。私は、児童相談所への弁護士の常駐は必須だと考えている。児相は、虐待などで子どもが危険な状態にあると判断した時、親が同意しなくても、児童福祉法28条に基づいて児相が裁判所に申し立てて認められれば、子どもを一時的に親元から引き離す「一時保護」ができる。しかし、親との関係を気にして、子どもを親から引き離すことを躊躇するケースも少なくない。私が会った児相の職員も、その判断が最も難しいと話していた。
 数は少ないが、弁護士がケースワーカーとして常駐している児相がある。そうした児相では、日常的に法律家に相談できる体制ができている。必要な予算は国ですでに整備されており、期限付きの任用形式を取れば、常勤スタッフとして児相で働くことを希望する弁護士は全国にいる。しかし、ここでも地方の動きは鈍い。 
同時に、児童福祉司の専門資格化も急がれる。現在の児童福祉司は、地方自治体による「任用資格」となっており、専門性のない都道府県の職員が、児相に配置されるケースもある。子どもの状況把握、親とのコミュニケーションなど、児相の職員に求められる能力は多岐にわたる。早急に国家資格化を実現すべきだ。 
また、家庭との関係を重視して、子どもの保護を後回しにする傾向を改めるためには、児相の中で、「初期対応」と「支援」の機能を分ける必要がある。虐待への初期対応において最も優先されるべきは、当然にして子どもの安全だ。両者の連携は必要だとしても、トレードオフの関係になりえる両機能を同じ職員が担当するのは望ましくない。
 これらの課題を解決するためには、児童福祉法などの抜本改正が必要だ。当然、予算も増やさねばならない。心ある議員と力を合わせて、できるだけ早く結果を出さなければならない。 ■幼稚園にも保育園にも通っていない子どもたち 潜在的な虐待にも目を向ける必要がある。結愛ちゃんが亡くなったのは5歳。彼女は幼稚園にも保育園にも通わせてもらえず、社会的にも家庭の中でも孤立していた。3歳までは、母子保健法で健診が義務付けられているため、自治体が子どもの状況を把握することができる。また、義務教育となる就学前には、自治体が子どもの状況を把握することができる。問題はその間の3年間だ。 
3歳から5歳児の中で、幼稚園にも保育園にも通っていない子どもの数は約20万人。おそらく、ほとんどの方はその存在に気が付いていないのではないだろうか。実は、行政もこれまで、こうした子どもの実情を把握していなかったのだ。私の提案で、昨年7月に全国の自治体に通達がだされ、12月5日までに調査が実施された。政府の実態把握はこれからだ。

無所属となって半年、政治家としての理念・政策を再確認する

ダイバーシティ・ジャパン

~外国人庁(仮称)の新設と基本法の制定で、次の時代の日本人の誕生に備えを~ 
大きく変わろうとする外国人労働者政策についてこれまで3回書いてきたが、このエントリーでひとまずは最終稿となる。 (その①、その②、その③) 秋の国会論戦を前に、外国人労働者の問題がメディアで取り上げられる機会が増えてきた。それに伴い、地元の報告会や座談会でも、しばしば話題に上るようになってきた。技能実習生や留学生を目にすることが多くなったこともあってか、大概の人の反応は、現実として外国人の受け入れは進めるべき、もしくは認めざるをえないが、摩擦を起こさないためにも、国として受け入れ体制を整えてほしいというものだった。○法務省の外局で対応できるか秋に予定されている入国管理法の改正を所管するのは法務省だ。政府は、法務省の入国管理局を拡充して入国管理庁を法務省の外局として新設することを検討している。橋本行革以降、業間的な分野を集約した結果、内閣府、内閣官房が膨張しすぎたことを反省して、各省に仕事を戻す流れを受けたものだろう。規制官庁である環境省の大臣でありながら、東日本大震災のがれき処理、原発事故の除染といった巨大な国家事業に取り組んだ経験からすると、外国人労働者の受け入れ拡大という遠大な事業を規制官庁である法務省が扱うのは、相当に困難だと思う。当面は、建設業と造船業を所管する国交省、製造業を所管する経産省、宿泊と介護を所管し、労働全般を扱う厚労省、加えて外務省、警察庁あたりから人材をかき集めて対応せざるを得ないだろう。入国管理という水際の問題は、全体のほんの一部に過ぎない。転職も引っ越しも自由になる特定技能の場合、技能実習生以上に入国後の管理は難しくなる。政府は、業界団体に転職などを仕切らせることを考えているようだが、全ての業界で同レベルのことが期待できるとは思えないし、公権力のないところに、居住地や職歴の把握を期待するのは酷だろう。失踪や犯罪のリスクに正面から備えるのであれば、最低限、マイナンバーの活用を検討すべきだ。○求められる社会統合政策外国人を巡っては、住宅、日本語教育、社会保障の適用など多岐にわたる問題があり、いずれも非常に重たい。労働力だけなどという、良いとこ取りはできないのだ。そして、多くの困難な政策を地方自治体が担う。多文化共生を掲げて、外国人の社会統合に前向きな自治体とそうでない自治体とでは、対応に相当の差が出てくるだろう。政府としても、特定技能の外国人を雇用する企業と、彼らが住む自治体が協力する枠組みを積極的に後押しする必要がある 。お隣の韓国では、2007年に在韓外国人処遇基本法が制定されている。わが国も、できる限り早い段階で、法務省から独立した外国人庁(仮称)を設置すると同時に、日本で生活する外国人に関する基本法の制定を検討するべきだ。○客観的な労働市場テストの導入を社会統合の前提は、わが国に入ってくる外国人が日本社会から歓迎されることだ。率直に言って、各業界からの要望で五月雨式に受け入れ業種が広がりつつある現状は気になっている。外国人が入ってくることで、日本人が職からあぶれる事態は何としても回避しなければならないし、給与水準の低い外国人が入ることで日本人の給与が抑えられる可能性も見ておかなければならない。7月末に外務大臣に出された民間有識者による提言にも書かれているが、例えば一定期間、3倍以上の有効求人倍率が続いた職種のみ受け入れ対象とするなど、客観的な労働市場テストの導入は必要だろう。○ダイバーシティ・ジャパン日本に続いて続々と少子高齢化社会に突入するアジアでは、すでに移民獲得競争が始まっている。先日訪れた地元の日本語学校では、3.11以降、中国人留学生が激減し、ベトナム、スリランカ、インドネシアなどで留学生を募集しているとのことだった。技能実習生でも同様のことが起こっている。  

『外国人労働者』を『人』として受け入れる~ただし、移民政策をヒューマニズムだけで語るべきでない~

前回、前々回と、外国労働者政策の現状と今後について書いてきた。技能実習生の送り出し国に技術を移転することを建て前に掲げながら、労働者不足を補うために利用されてきた技能実習生制度は、明らかに限界が来ている。私は、外国人を正面から労働者として受け入れる政策転換に基本的に賛成だ。ただ、どうも『外国人労働者』という言葉がしっくりこない。何か、労働力という塊がやってくるというイメージがぬぐえないからだ。一方で、政府が使いたがらない『移民』という言葉は、実に生々しい。一歩、踏み出すためには、彼らの人生や生活も含めて受け止める覚悟が必要だ。私があえて『移民』という言葉を使うのはそのためだ。○配偶者の帯同の検討を特定技能という新たな在留資格が導入され、ミドルクラスの人材および単純労働の外国人が入ってくるにあたって再検討すべきなのは家族の帯同だ。技能実習生は3年から5年に延長された後も、家族の帯同は認められてこなかった。政府の提案するのは、特定技能についても、技能実習生と同様に認めないというものだ。技能実習で日本に渡る若者は20歳前後。3年から5年で20代の半ばになる。多くは、決して恵まれているとは言えない住環境の中で共同生活をしている。技能実習を終えて、20代の半ばから更に5年、特定技能の在留資格で日本に留まるとなると、彼らは日本で30歳前後になる。結婚適齢期が20代の前半とされているベトナムの女性にとっては、婚期を逃すことにもなりかねない。 先日、ベトナムを訪問し、彼女たちと話をする機会があったので、日本で何年働きたいか聞いてみたところ、半数の若者は5年以上、残りの半数は、日本に行ってから5年以上働くかどうか判断すると答えてくれた。日本だとセクハラと言われそうで迷ったが、同世代の娘を持つ親の気持ちでと前置きして、女性に「結婚はどうするの」と聞いてみたところ、一旦帰国した時に結婚して、再び単身で日本に行くと答えていた。実にたくましい。 

20年ぶりのベトナム訪問 ~最大の技能実習生送り出し国から移民について考える~

「お客様、こんにちは!」
技能実習生がベトナムで研修を受ける、いわゆる「送り出し機関」を訪問すると、若者の声が教室中に響き渡っていた。弾けるような笑顔と目の輝きが眩しい。 20年ぶりに訪問するベトナムの首都ハノイは、私の記憶とは全く違う近代的な街になっていた。変わらないのは、国民が圧倒的に若いということだ。ベトナム人の平均年齢は30歳。送り出し機関で学ぶ若者はもちろん、街を見渡してもエネルギーであふれている。50歳を前にした私の年齢になると、「おじいさん」と呼ばれても、文句は言えないそうだ。彼らは、ベトナム国内で半年前後の日本語や技能の研修を受け、3年間、延長されれば5年間、日本で技能実習生として働くことになる。業種は建設、工場、農家など。働く場所はもちろん、住む場所も指定され、一定の制約の中で生活をする。技能実習生という名目にはなっているが、私の知る限り、彼らは例外なく親に仕送りをしているので、実質的には出稼ぎだ。日本の若者のワーキングホリデーとはわけが違う。ハノイの空港は、若者を見送る親類縁者でごった返していた。20歳前後と言えば、私の娘と同世代だ。生まれて初めて異国に渡る若者と、送り出す親の気持ちを想像すると切ない気持ちになる。■最大の技能実習生の送り出し国となったベトナムベトナムからの技能実習生は2017年の時点で12万人を超えており、すでに中国を上回り、最大の送り出し国となっている。私の地元でも数多くのベトナム人が技能実習生として働いている。真面目で粘り強く、手先が器用で、周りに配慮ができるとベトナム人の評判は上々だ。人手不足に苦しむ経営者の目が、ベトナムに向かうのも無理はない。今回のベトナム訪問の目的は、外国人労働者の送り出しの実態を知り、今秋の入国管理法の改正の議論に備えることだ。滞在期間をフル活用し、3つの送り出し機関と、介護職の技能実習生予定者が学ぶ医療介護の短大を訪問し、多くの当事者や関係者の話を聞くことができた。これまで、日本国内で技能実習生が働く職場や、受け入れている組合からは話を聞いてきたが、ベトナム側から見た技能実習の実情を知ることができたのは収穫だった。